学長が聞く、学長に聞く―第16回―「つないで理解する力」を身につけよう!生まれ変わる明星大学の「全学共通科目」(後編)
上田 耕造 教授(教育学部 教育学科 全学共通科目担当)×落合 一泰(学長)
前編では、全学共通科目リニューアルの中心的メンバーである上田先生のこれまでの歩みと、新しくなった科目のポイントについてうかがいました。後編では、上田先生から落合学長に気になっていることを質問してもらいました。全学共通科目リニューアルをはじめとする今回の明星大学教育改革の根幹にある「学修者本位」や「クロッシング」という独自の考え方が生まれた背景に、上田先生が迫ります。
あらためて、「学修者本位」ってなんですか?
落合学長 ここからは、私が上田先生から質問を受ける時間です。何でもどうぞ。
上田教授 では、遠慮なく。まず、「学修者本位」というキーワードについてです。落合学長は、この言葉を積極的に使っていますね。全学共通科目のリニューアルでも、この「学修者本位」というキーワードが常に念頭にありました。また、クロッシング科目開設の背景には、われわれ教員もまた学修者なのだという考えがありました。落合学長が掲げる「学修者本位」という言葉には、どういう思いが込められているのか、分かりやすく説明していただけますでしょうか?
落合学長 「自分本位」という自己中心を意味する言葉があるせいか、学修者本位と聞くと、学生に勝手にやらせておけばいいというように考える人がいるようです。あるいは、「何を教えたか」という教授者中心の教育から「何を学んだか」を重視する学び手中心の学修観への変化こそが、学修者本位の意味であると言う人もいます。文部科学省は、こちらの意味でこの言葉を使っていますね。でも、明星大学で言う学修者本位は、そこに留まりません。私は「本位」という部分が大事だと思っています。
「本位」には、求められる本質、本当の役割、本分、基本、基準といった意味があります。先生が教えてくれることはもとより大切ですが、明星大学では学生が学んだ中身、考えた内容、身につけた知識や能力を大事にしています。そして、そこで重要なのは、「学生が自分の学修プロセスを自らの手で管理しているか」です。学修者が自分の学びのスタートからプロセスをたどってフィニッシュに至る全工程をみずから管理し、その実現を大学が支援する。これが本当の意味での「学修者本位」の在り方だと私は考えています。
新入生は最初にガイダンスを受け、授業を聞き、仲間と話し合うなかで、自分はこれからこんなふうに勉強していこうと計画を立ててやってみる。入学した学科が示す卒業要件「ディプロマ・ポリシー」や履修順序の手引き「カリキュラム・ツリー」などが、学修計画を立てる時の手掛かりになるでしょう。先生や職員や先輩に相談するのもいいですよね。そして、学びを進めるなかで「卒業するには、まだここが足りないな」と途中でチェックし、少しずつ改善していく。学生一人ひとりが自分の卒業を達成するために、社会で当たり前に行われているPDCAサイクルに取り組むわけです。この一連の流れが、学修者本位のプロセスにほかならないと私は考えています。
上田教授 在学中にPDCAサイクルを身につけて社会に羽ばたく!自身の学修を素材にして、自分でPDCAを廻したという経験と実績をもつ!これは社会人になったときに大きな自信になりますね。
落合学長 そうあってほしいと願っています。そのために、ICTを活用して自分の学びの状態を目で把握できるようにする学修支援システムを2023年秋に向けて準備しています。他大学でもまだ行われていないような画期的な内容になると思いますよ。
上田教授 そのシステムは、学生が実際に学びを進めるさいに羅針盤のような役割を果たしそうですね。
クロッシングの発想元は、文化人類学!?
上田教授 2つ目の質問です。2023年度から全学共通科目でクロッシング科目が始まります。落合学長は学長に着任した時から、様々なことを掛け合わせていくという意味でクロッシングという言葉を使ってきましたね。落合学長は、ご専門の文化人類学からクロッシングというアイデアを生み出されたのかなと想像しているんですが、いかがでしょうか。
落合学長 私は1991年から1997年まで、茨城県水戸市にある茨城大学教養部に在籍していました。文化人類学を中心に、いわゆる一般教育科目を担当していたんです。理系の電気通信大学で、一般教育の文化人類学の非常勤講師を何年か務めたこともありました。受講した学生にとっては、もしかしたら一生で最初で最後の文化人類学の講義になるかもしれません。そこで私は、特別な話ではなく皆に共通するテーマを語ることにしました。それが「分かるとは何か?」でした。
文化人類学は、異文化社会に住み込んでそこの人間を理解しようとする学問です。そんな文化人類学は、ひとことで言えば「分かる」をめぐる学問なんです。研究者は、文化の異なる人々の言葉や生活をどのように「分かろう」とするのか?別の「分かり」方だってあるのでは?研究者であろうと、その「分かる」には誤解や偏見やステレオタイプが含まれてはいないか?そもそも、土地の人々は自分自身をどのように「分かって」いるのだろうか?さらに、研究者は自分が「分かった」ことをどのように研究仲間や一般の読者が「分かる」ように伝えているのだろうか?それを聞いたり読んだりした人は、異文化のことをどのように「分かる」のだろうか?文化人類学とは、こうした一連の「分かる」に関わる学問であると、私は考えているんです。
私はメキシコ南部のマヤ・ツォツィル先住民社会を「分かりたい」と長く現地調査をしてきました。授業では、そうした経験のなかで「分かる」をめぐって考え続けてきたことを話しました。メキシコの珍しい話をすれば学生が面白がることは分かっていました。でも、それが授業の目的なのではありません。ポイントは、疑問を持つことすらない自分の「分かる」について問い直せるか、でした。自分の「理解」を疑ってみるのはなかなか難しいことです。それでもこの「分かる」という誰もが当たり前に行っていること、「分かりたい」という皆がもつ願いに立ち戻って「理解とは何か」を一緒に考えようというのが、私の文化人類学講義の方針でした。
上田教授 なるほど。そうした落合学長の物事の本質を捉えようとする姿勢とそこへの多種多様なアプローチ方法が、クロッシングの発想につながっているのかもしれませんね。
落合学長 この対談シリーズに繰り返し出てくることなのですが、好奇心を制限しなければ人間は自然にクロッシングに向かうと思いますよ。私の文化人類学講義は専門的な人類学者(アンスロポロジスト)を作るためではありません。自分の発想にも好奇心を向けて、その根源を考えてみる。受講生にはそんな人類学的(アンスロポロジカル)な考え方を身につけた人間になってもらいたいと思ってきました。世の中には絶対的なものはなくて、ちょっと角度を変えて見直すと、あれ!?と思うようなことがたくさんあります。ですから、いろいろな観点からものごとを捉えてほしい。自分の視点だって一度は問い直してみてほしい。本学の全学共通科目でも、こうしたアンソロポロジカルな姿勢について話す機会があればと思います。
上田教授 ぜひお願いしたいところです。
落合学長 そういえば、上田先生と私とで「歴史とはなにか?」をテーマに一緒に授業をやりたいという話をしたことがありましたね。古いところから積み上げていく正統派の歴史学と、いまを理解するために現在の観点で過去を解釈しようとする文化人類学の逆向きの歴史の見方。ふたつを比べながら授業をしたら学生は喜ぶんじゃないでしょうかと、そんな話をしたんでしたね。残念ながら実現しなかったのですが。上の写真のメキシコ村落のカーニバルや地元化したカトリック儀礼にだって、そうしたふたつのアプローチがとれますよね。
上田教授 いやじつは実現に向かっています。歴史学と文化人類学がコラボする「創造される歴史と人々が紡ぐ歴史」という授業を、今回のリニューアルで始めるんです。歴史を歴史家が文書から、そして文化人類学者は人から読み解くという内容です。歴史の本質と多面性を明らかにする授業となるはずです。この授業科目は落合学長とお話をしたのがきっかけで生まれました。
落合学長 それは良かった。面白い授業になるでしょうね。上田先生を中心に、熱意ある若い先生方の幅広い視点で一新された明星大学の全学共通科目。今日のお話を聞いただけでも、学生のみなさんがイキイキと目を輝かせて学んでいる様子が目に浮かびます。2023年の春が今から楽しみです。今日はどうもありがとうございました。
上田教授 こちらこそありがとうございました。機会があれば、ぜひまた教壇に立ってください。よろしくお願いします。