卒業生の今とあの頃(15)教育学科卒業 齋藤元気さん
ー明星大学卒業生の「今」と「あの頃(在学当時)」を写真とコメントで綴りますー
齋藤 元気〈Genki Saito〉
2016年3月 明星大学 教育学部教育学科教科専門(数学)コース卒業
現在の職業:東京都立大学ボランティアセンターのボランティアコーディネーター/日本防災士機構 認定防災士
出身地:岩手県北上市生まれ、宮城県富谷町(現:富谷市)育ち
趣味:サッカー観戦(ベガルタ仙台)、カメラ
齋藤元気さんの「今」①
ボランティアコーディネーターとして学生や地域の方々をサポート
私は現在、東京都立大学にあるボランティアセンターで、専門職のボランティアコーディネーターとして働いています。業務内容は、ボランティア活動を始めたい学生の相談にのりながら、その学生が参加したいと思える活動を一緒に探したり、すでに活動を行っている個人・団体を様々な面からサポートしたり、年間を通じて活動に参加できる大学独自のボランティアプログラムを運営したりと様々です。学生・地域の方々の想いや要望に加え、災害の発生などに応じてその都度生まれる取り組みも多く、学生とともに常に社会の変化と向き合いながら過ごしています。
齋藤元気さんの「あの頃」①
新たな被災地をつくらないような取り組みを
私が明星大学に入学したのは、東日本大震災から一年後。宮城県にある実家で被災し、避難所生活なども経験した私は、震災に関わる“何か”をしたいと感じながら、1年生の前期を過ごしました。この時期には、大学生をはじめとする全国のボランティアが東北に訪れ、被災地支援活動に積極的に取り組んでいましたので、その流れに乗るということも震災に関わる“何か”になり得たかもしれません。しかし、私は自分の地元(被災地)に貢献したいという気持ちとともに、どこかもやもやした気持ちを抱えていました。
▲私が実際に生活していた避難所です(写真出所 富谷町)
▲震災当日は雪も降っていました
そのもやもやとは、「今自分が住んでいる東京で何かできることがあるかもしれない」という抽象的な想いです。現地で被災し、自分が想像していなかったような被害を受けた中でも、準備、つまり防災・減災に取り組んでいれば問題にならなかったことも多くあったと実感しました。さらに、それは個人を超えたもっと大きな集団、地域や社会として取り組まなければならないことで、このままではまた同じ失敗を繰り返すだけなのではないかとも感じていました。
また、実際に多くの全国から東北に訪れたボランティアの多くが、自分の住む地域に帰った後、防災・減災に取り組んでいないという課題も浮き彫りになっていました。災害ボランティアの活躍により被災地の復旧・復興は進みましたが、それとは裏腹に「私たちと同じような被害(失敗)を経験しないでほしい」という被災者の願いが十分に伝わっていないことがとても大きな課題になっていたように思います。
次第に、私の中で「新たな被災地をつくらないような取り組みをしていきたい」というはっきりとした思いが確立されました。
齋藤元気さんの「あの頃」②
被災体験の伝承活動、そして「明星大学 減災プロジェクトFine」の立ち上げ
まず初めに私が始めたのが、被災体験の伝承活動でした。「自立と体験2」でお世話になっていた先生から声をかけていただき、その先生が担当されていた「教育学基礎演習」の授業内で初めて自分の体験を語りました。最初は、何を伝えれば良いのか整理できずうまく話せませんでしたが、それでも、私の被災体験から自分以外の人に何か伝わった、そのことに嬉しさを感じたことを今でも覚えています。
活動を始めた当初は試行錯誤する日々でしたが、同じ数学コースの仲間と新しい取組を模索したり、同じ被災地出身の学生とお互いの経験を共有したりすることもできました。
そうして立ち上げた団体が「明星大学 減災プロジェクトFine」です。この頃には、学内でも伝承活動を行う機会をいただくことが増え、次第に学外からもお声をいただくようになりました。明星大学には私以外にも被災地出身の学生が在籍していましたので、そのような学生を誘い、ともに伝承活動をすることで、それぞれの体験や視点を通して語られる東日本大震災の記憶から、社会の大きな変化を捉え、学ぶこともできました。
▲ともに活動した先輩(私は浪人しているので同級生ですが)の卒業時、学生サポートセンターの皆さんと。
齋藤元気さんの「あの頃」③
地域に広がる活動。地域防災・減災への取り組み
さらに、東日本大震災当時の様子を伝えるだけでなく、自分たちが地域を巻き込みながら地域防災・減災活動を実践していこう、モデルになるような事例を地域に生み出そうと取り組んでいくようになりました。
その中で最も反響が大きかった取組が、「ひらやま減災ウォークラリー」です。小学生やその保護者を対象に、『子どもを地域の真ん中に据え、災害から子どもの命を守る術を考える』『顔の分かる関係づくりから、災害に負けない地域コミュニティをつくる』『大学生×地域が協働する機会をつくる』『自らの足で地域を歩き、地域の良いところを再発見する』『いざという時(災害時)の選択肢を増やす』といったことを目指して企画した同イベントでは、ウォークラリー形式で地域のチェックポイント(避難所など)を回りながら、防災知識や地域の文化を知るクイズに答えたり、体を動かしながら災害時の行動を体験したりしました。企画段階では、大学生が何度も地域を歩き、地域の方々にお話を聞きながら準備を進めたのですが、地域の自治会の方がゴール地点で炊き出しを用意してくださるなど、大学生と地域の協働モデルを創ることができたと思います。
さらに、若い世代の参加が減少している自治会が主に運営していた地域防災・減災活動に限界が見られていた中で、大学生はもちろんのこと、地域の小学生やその保護者という若い世代の参加を得られたということも大きな成果だったように感じます。
▲チェックポイントで大学生が防災クイズを出題する様子(ひらやま減災ウォークラリー)
▲約60名の子ども・保護者が8グループに分かれ、その各グループに大学生が入って地域を回りました(ひらやま減災ウォークラリー)
この取組は、『第4次 日野市地域福祉活動計画(日野市社会福祉協議会)』『第3期 日野市地域福祉計画(日野市)』といった行政の施策にもアクションプランとして取り上げられました。この時、私の発案から始まり大学生が取り組んだものが施策に反映されるという経験を通して、「大学生でも地域や社会に影響を与えられる」ということに嬉しさを感じたとともに、震災後の「このままでは地域、社会が同じ失敗を繰り返すのではないか」という課題に対する私なり改善策を提示、そして実践することができた喜びも感じることができました。
▲日野市社会福祉協議会に表彰していただき、授賞式で挨拶をさせていただきました(福祉のつどい)
その他、公立小学校の学校運営協議会の委員を担ったり、助成金をいただいたりしながら取り組みの幅を拡げるなど、学生時代は、明星大教職員や地域の方々にお世話になりながら充実した時間を過ごすことができました。卒業時に社会貢献部門において「明輝栄誉賞」「特別賞」をいただいたこともとても良い思い出です。
▲中央左でトロフィーを持っているのが私です(明記栄誉賞授賞式)
齋藤元気さんの「今」②
東日本大震災の発災から10年。ライフワークとして続ける伝承活動
大学卒業後は、文部科学省の研究開発学校の指定を受け、防災教育教科の実践研究をしている公立小学校で教員として働き、学級担任を経験したり、防災教育の開発・実践に取り組んだりしました。その後、現在に至ります。
現在、ボランティアコーディネーターとしての仕事とは別に、「東日本大震災における被災体験の伝承活動」に取り組んでいます。学生時代から続けていることですが、今ではライフワークになっています。昨年度も渋谷区の中学校や日野市の小学校などから声をかけていただき、子どもたちに当時の話をしました。
東日本大震災の発災から10年経ちましたが、まだまだ社会は変わっていかなければなりません。私の学生時代と違い3.11から時間が経ったことで、3.11の記憶がない、またその時に生まれていない子どもたちに話す機会も多くなっています。私自身が学び続けながら、そして同じ失敗を繰り返さない・新たな被災地を生み出さないためにも、その教訓を伝え続けていきたいと思います。
▲渋谷区の中学校での伝承活動(2020年度)
―「明星大学卒業生の今とあの頃」は2~3週間に1度のペースで更新予定です。様々な卒業生が登場しますのでお楽しみに!―