卒業生の今とあの頃(11)教育学科卒業 阿部惟夏さん
ー明星大学卒業生の「今」と「あの頃(在学当時)」を写真とともに綴りますー
阿部 惟夏<Yuika Abe>※旧姓:池田 惟夏
2015年3月 明星大学 教育学部教育学科教科専門(数学)コース卒業
現在の職業:中学校教諭(数学科)
血液型:A型
出身地:宮城県名取市
特技:砲丸投(全国大会、国体出場経験あり)
趣味:国内旅行 スキー
阿部惟夏さんの今①
中学校教諭として生徒の成長を日々支えています
東京都区部の公立中学校で数学科の教員として勤務しています。現在は中学1年生の学級担任、生徒会の担当、陸上競技部の顧問を担っています。
今年度はコロナ禍ということもあり、例年のように学校行事を執り行うことができない1年でした。その中でも、学級や学年の帰属意識がもてるように工夫したり、生徒が小学校の環境から中学校への転換が上手くいくように支援したり、この状況下でも出来ることを模索しながら職務に当たっています。
私がこの仕事に魅力を感じることは、生徒の著しい成長の様子を日々見守れることです。
入学当初は小学生のような幼い1年生も、卒業時には心身ともに頼もしい姿へと変わります。多感な時期だからこそ、時には生徒が失敗したり傷ついたりすることもあります。
私たち教員はその時に手を差し伸べたり、あえて見守るだけであったり、必要な手立てを講じながら寄り添っていくことで生徒の成長を支えていきます。そうすることで、生徒は3年という短い時間の中で様々な経験をしながら、成長を遂げます。
卒業まで見届けられた時の達成感と喜びは、何物にも代えがたい感覚です。
一方で、自分自身の成長も感じられる仕事だと認識しています。常に、人を相手にする仕事なので、生活指導やトラブルへの対応もその状況に応じて様々な手段をとります。
大変ではありますが、その都度自分が出来ることの引き出しが増え、貴重な経験を積み重ねていくことができます。
阿部惟夏さんのあの頃①
子供たちとの交流の機会を広げるため、
教育系のサークルに所属
大学の4年間は「初等教育研究会どろんこの会(通称:どろんこ)」に所属していました。私は入学当初から中学校の先生になりたいと思っており、教育系のサークルに入りたいと考えていました。
中学生との触れ合いは必修のインターンシップや当時のアルバイト(塾講師)で経験を積むことができましたが、同じ義務教育下の小学生の実態を知っておくことが必要と考え、数学コースの友人と一緒に入会をしました。
どろんこは明星大学でも歴史のあるサークルであり、私たちの代は47期です。
活動は、児童館でのワークショップや子供会主催のキャンプなどに参加し、幼児~中学生の子どもたちと遊んだり、遊びの支援をしたりするものです。
当時は活動拠点が10か所程度あり、活動も多様で、秋には芋掘り、冬には火の用心の見回りなど、季節や地域に応じた活動にも参加しました。
同期とはサークルや活動の在り方など、多くの時間を対話に費やしました。
卒業後も仲間がBBQやお花見などのイベントを企画してくれるので、集まった時には当時を思い出して楽しんでいます。
阿部惟夏さんのあの頃②
新入生に忘れられない思い出を
「フレッシュマンキャンプ」実行委員
大学入学時に「自分の大学を好きになってもらいたい」というコンセプトの下に企画されたフレッシュマンキャンプに参加しました。教育学部の2~4年生が実行委員として運営をしていて、その時の実行委員の先輩方の輝いている姿に憧れました。
それをきっかけに私自身も3年間実行委員としてフレッシュマンキャンプに携わることになりました。
当時の実行委員会は、
・全体の運営・指揮を管轄するマネジメント(M)班
・写真記録や閉会式で流す映像を制作するA班
・初対面の新入生どうしのアイスブレイクを担当するB班
・夜のキャンプファイヤーを企画するC班
・新入生どうしの仲を深めるワークショップを担当するD班
の5つの班で構成されていました。
3年生の時にキャンプファイヤーを担当するC班に配属されたことが、私の人生の転機となりました。
「キャンプファイヤーをする」ということ以外は決まっておらず、その場を盛り上げるための企画や流れも考えなければなりませんでした。
私は人前で面白いことをしたり、笑いをとったりすることが苦手だったため、C班への配属は自他共に驚かれることだったと思います。
キャンプファイヤーをして過ごす夜の3時間、新入生にとって忘れられない大切な時となるように「時間・空間・仲間」を意識した企画を作り上げました。
あの時の実行委員の仲間と共に企画を作り上げた感覚は、今でも大切な経験だったと感じています。
阿部惟夏さんのあの頃③
入学を目前に被災、
東北の素晴らしさを広める「郷土会」の活動へ
2011年3月11日。東日本大震災では、宮城県仙台市で被災をしました。高校を卒業し、大学への進学を目前にした時の大震災でした。新幹線が運休していたため、夜行バスで一人キャリーケースと寝袋をもって上京しました。
地元が大きな被害を受け、大変な状況の中で逃げるように上京してしまったことを、入学後はずっと悩んでいました。
その中で、大学では岩手・宮城・福島の出身の学生を集める機会があり、その企画から「郷土会」というサークルが立ち上がりました。私は創設から、二代目の会長として郷土会の活動に携わりました。
「被災三県」「被災者」と呼ばれるだけではなく、純粋に東北の素晴らしさを広めたいという思いで活動を行いました。
星友祭では、仙台芋煮の提供や当時風評被害があった福島県いわき市の農家さんや、いわき明星大学の職員の方々と、福島の野菜即売会を行うなどの活動をしました。
―「明星大学卒業生の今とあの頃」は2~3週間に1度のペースで更新予定です。様々な卒業生が登場しますのでお楽しみに!―