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須崎貴寛さん(日野市議会議員/経営学科卒業生)インタビュー

「できること」をやるより、「できないかもしれない」けれど「やってみる」その方が絶対、将来につながるアクションになる!


須崎貴寛<Takahiro Suzaki>
日野市議会議員
明星大学経営学部経営学科
2021年3月 多摩ブランド創生コース(現・地域ブランドマネジメントコース)卒業

1964年に多摩の地に創設された明星大学は、以来約60年にわたってインターンシップの受け入れや、企業との産学連携共同研究など、学科やゼミの授業はもちろん、ボランティアやサークル活動でも地域と深く協働してきました。この地域のみんなと一緒に、多摩の未来を創っていきたい。明星大学は、2023年に創立100年を迎えた明星学苑とともに、今、こうした多彩な活動を一つのプラットフォームに乗せた「多摩地域共創プロジェクト」を構想しています。今回はそのスタートにあたり、昨年2月に26歳の若さで日野市の市議会議員に当選し、日野市や多摩地区の未来に向けて提言を続ける須崎貴寛さんに登場いただきます。須崎さんの活動の原点となった大学での学びのこと、地域との連携のあり方、そしてめざすべき地域の未来像についてお話をうかがいます。

地域活動のボランティアをとおして、日野市への愛がより強くなった

私は生まれも育ちも日野市で、人混みに揉まれるような都心はあまり好きではありませんでした。小さい頃から満員電車で通勤するサラリーマン生活を想像するたびに、「行き帰りだけで大変そうだな」と思っていました。それに比べて日野市には、浅川、多摩川、程久保川などの一級河川も流れているし、多摩丘陵もあって自然環境が豊かな、まさに「ふるさと」という感じのゆとりある暮らしがあり、とても気に入っています。そんな生まれ育った地域に恩返しの意味も込めて、また、地域の若い人たちと一緒に次世代の日野市をつくっていきたいという想いから、2022年2月、26歳で日野市の市議会議員に立候補し、初当選させていただきました。

最初は市内に自分のお店を持ちたいと考えて、高校時代には調理を学び、「医食同源」への興味から大学は薬学部に進みました。その間地域では、市の子育て課が主催する「ジュニアリーダー講習会」をボランティアでサポートしていました。ジュニアリーダー講習会は小学5年から中学3年までの約50人の子どもたちを集めて、野外活動やレクリエーション、地域活動などを体験するものです。6月から12月にかけて8回ほど開催され、夏にはキャンプもあり、異年齢交流による教育の機会となっています。体験をとおして地元愛を育み、将来の地域づくりを担うリーダーを育てることが目標です。私自身もレクリエーションの計画を立てたり、子どもたちと一緒に体験することで日野市がさらに好きになり、地域のことをもっと考えたいと思うようになりました。

そんな時、明星大学の経営学部に「多摩ブランド創生コース(現・地域ブランドマネージメントコース)」ができたことを知りました。自分のお店を持つにしても経営を学ぶことは有効だと考えていましたから、その2年次に編入学して、第1期生に合流することになったわけです。

生まれも育ちも日野市。多摩の豊かな自然の中で過ごしました。

学生だからちょっと飛躍できる。明星大学ではそんなチャレンジングな学びができた

多摩ブランド創生コースでは、埼玉県川越市や栃木県宇都宮市などの事例に触れて、地方創生や地域の活性化、地域の課題解決の方法を具体的に学ぶことができました。たとえば宇都宮は「餃子のまち」として知られていますが、じつは世界大会で優勝するようなバーテンダーもたくさんいて、そうした地域の人材を活かしながら「宇都宮カクテル」を展開しています。バーが盛り上がれば宿泊客も増えます。そうした事例からは、地域が持つポテンシャルや資産に寄り添いながら、それを活用し、発信していくことの重要性を学ぶことができました。日野市でも、きっと何かできるんじゃないか、と。

明星大学での学びは、地域と連携したアクティブラーニングも魅力でした。田原洋樹先生のゼミでは同じ多摩地域にある「あきる野市」を舞台に、秋川駅周辺の飲食店へ取材を行い、実際に料理を食べた感想やお店の雰囲気などを掲載したグルメマップを制作したり、市内の商業施設に1週間限定のカフェを開いたりしました。明星大学から「星」を着想して、カフェのネーミングは「プラネットカフェ」としました。子どもからお年寄りまでみんなに来てもらいたくて、地元の建設業者さんの協力で店内にプラネタリウムを設置しました。私たちが地域の食材を使って考えた商品は、地元のパン屋さんやお菓子屋さんの協力で実現できました。ホットドックの「火星ソウ星人」やスイーツの「飴ドロメダ」など、ネーミングも工夫しました。ゼミ生は10人。私がリーダーを務めましたが、高校時代の調理の勉強も少しだけ役に立った気がします(笑)。

「プラネットカフェ」でのひとこま。
プラネタリウムを併設したカフェとして注目され、本件のリリース記事は大学プレスセンター ニュース・アクセスランキング(2019年10月21日~12月20日)で1位になりました。

ゼミではその後も、「大学生観光まちづくりコンテスト」に新選組をテーマとする日野市のサイクルツーリズムを提案して最終選考に残るなど、これまで学んできた知識を活用してアウトプットする実践的な学びができている実感がありました。

チームの中だけではなく、地域の企業や個人商店、行政、観光協会など、いろんな人を巻き込んでいく「交渉力」も培われたと思います。何より「思い」を伝えることで「共感」が生まれ、みんなで一緒に創っていくプロセスを経験できたのはよかったと思います。自分たちだけでは小さいことしかできないけれど、いろんな人を巻き込むことで、「できないんじゃないかな」が、「できる」に変わっていく。もちろん実現可能性も大事ですが、「できること」をやるより、「できないかもしれない」けれど「やってみる」。その方が絶対、将来につながるアクションになると思います。学生だからこそ、ちょっと飛躍できる。それが地域へ提言していく大学の役割のひとつでもあるのかな、と思います。

地域が「自分たちのふるさと」と感じられるウェルビーイングを創生したい

私は大学時代から日野市の創業支援施設である「多摩平の森 産業連携センター PlanT」に関わり、仕事をする場所としての多摩の魅力づくりを考えてきました。従来の日野市は東京のベッドタウンという印象でしたが、日野自動車や富士電機東京工場などの大きな企業もあるし、駅周辺を中心に魅力的な個人商店も増えてきています。立川や八王子のような都市ではありませんが、仕事をする場所としても、生活の場所としても、魅力を発揮できる地域だと考えています。

「多摩平の森 産業連携センター PlanT」でのひとこま。

残したいのはやっぱりこの自然環境や、とくに農地ですね。市議会でも農地や生産緑地の減少が指摘されていますが、宅地の近くに点々と農地が残っているこの風景に「ふるさと」という意識が芽生えていると、私は考えています。そうした農地を残していくことで田園都市として持続可能的に発展させていきたいです。日野市は新選組副長・土方歳三らの生誕地でもあり、近年は「新選組のふるさと日野」をPRしてきました。2019年には土方の没後150周年を迎えて大いに盛り上がり、一定の成果は上がったと思いますが、私自身は新選組のふるさとだけではなく、「私たちのふるさと」だと言えるような、もっと違うアプローチをしていきたいと考えています。

大学卒業後は「多摩ブランド」の創生をめざして、立川市に拠点を置く「けやき出版」に勤務し、地域密着にこだわった情報を発信してきました。多摩地域にはそれぞれに魅力が点在していて、それを一つのブランドとしてまとめるのは難しいことですが、優秀な人材がたくさんいるので、多様な地域ブランドが磨き上げられている現状を見てきました。

「けやき出版」の皆さんと。

日野市であれば、やっぱり里山の自然を生かして、何ができるかを考えたいですね。私は今、多摩動物園や明星大学にも近い程久保の山に、グランピング施設等をつくる計画を議会に提案しているところです。さらに浅川の河畔でバーベキューや焚き火ができるような環境を整備すること。そのように日野市の自然を感じる機会を多くつくることが、自然を守ることにもつながり、市民の「ふるさと意識」の醸成へとつながっていくのだと思います。

観光地として成功することは、必ずしも市民の生活や心の豊かさにはつながりません。行政としてはもっと市民の生活に目を向けて、ウェルビーイングを向上させたい。ですからグランピングもバーベキューも焚き火も、遠方から人を呼び込む観光ではなく、まず、地域のマイクロツーリズムとして、地元の人たちに楽しんでもらいたい。この数年はコロナ禍でお祭りやイベントが開催できず、最近ようやく徐々に再開され始め、地域のコミュニティ活動も活発化しつつあります。そういう活動を行政としてサポートしていくことで、「私たちのふるさと」としてのまちづくりのスタートラインに、ようやくまた戻ってこられるのだと思います。

「声なき声」を聞きながら、大学で得た学びを地域に還元していきたい

これは大学のグループワークでも強く感じたことですが、多くの人が集まると、積極的に発言する人もいれば、あまり意見を言わない人もいます。発言する人の意見はわかりやすいけれど、「そうじゃない」と思っていても黙ってしまう人もいて、そういう人にリーダーとしてどうアプローチしたらいいのか、ずいぶん頭を悩ませました。「こんなふうに進んでいるけれど、君はどう思うの?」と声がけもしてみました。

声の大きな意見は、今まで認められてきたような正論である場合も多く、発信者も自信をもって発言できます。けれども心の中の思いや違和感は、なかなか表に出てきません。でもそういう中にこそ、新しいアイデアや突拍子もないことが埋もれている。積極的に発言しない人の思いや意見をうまく引き出し、みんなで共有することの大切さを、私は大学のグループワークをとおして実感してきました。それは今の議員の仕事にもつながっています。議会ではみなさんの「声なき声」を聞いていきたいと考えています。

子どもたちの声もその一つです。選挙権がないからといって発言権がないわけではありません。むしろこれからを生きる子どもたちの意見は、もっと尊重されるべきだと思います。市議会には20代の若い市議がいなくて、そのことも私が市議に立候補した理由のひとつでした。IT環境も進んでいく中で、これからのまちは若い世代が頑張らないといけないと感じたからです。

たとえば私たちの親の世代は、学校の同級生の親の世代も同級生で、そういう環境で生まれ育ち、自分たちの子どもができると協力して、青少年育成会などを一緒に運営するようなチームになっていました。私たちの世代では大学進学や就職を機に地域を離れる人が多くなり、そうした「循環」が途切れてしまっています。つまり、進学や働く場所を求めて日野市の貴重な人材が流出してしまっている状況です。日野市で働く環境や、ふるさとに戻って住みたいと思えるような環境をつくりたいと考えています。それは私自身が結婚して、子どもを育てる時にも、良い環境であるはずですから。

「地域の居場所づくり」は、これからもずっと私のテーマです。それは空き家の活用など、いろんなかたちでできると考えています。もちろん私一人ではなく、いろんな人が地域の中で点々と活動を始めれば、それをサポートしながら大きくつなげていくことができます。私自身も今、地域の空き家を活用して、自分の事務所に子どもやお年寄りたちが遊びに来てくれたり、話し合ったりできるような、新しい「地域の居場所づくり」を計画しているところです。

大事なのは「夢を見ること」だと思います。明星大学をはじめとして、多摩地域にたくさんある大学はもちろんのこと、地域の若い人や子どもたちとも、もっと活発に話し合い、提案したり、挑戦できる社会をつくりたい。私自身も、大学で得た学びを地域に還元するための挑戦を、今後も続けたいと思っています。