学長が聞く、学長に聞く―第7回―人生をデザインする(後編)
見出し画像

学長が聞く、学長に聞く―第7回―人生をデザインする(後編)

西本 剛己 教授(デザイン学部デザイン学科・学長補佐(広報等担当))×落合 一泰(学長)

前編では、自分の人生を確立するために必要なことについてお話いただきました。後編では、西本先生と落合学長が、それぞれ人生をかけて学んできた分野に出会ったきっかけと、学び続けてきた原動力について、そして明星大学でのこれからの学びについて伺いました。すでに学びたいことがある人も、今探している人も、両先生の力強い言葉に勇気づけられると思います。

憧れの気持ちを抱こう

落合学長 先ほどのお話では、あらゆる領域をつなぐことができる人を総合者(シンシスト)と呼ぶとのことでした。レオナルド・ダヴィンチはまさにシンシストでしたね。

レオナルド・ダヴィンチ
イタリア・ルネサンス期を代表する芸術家。音楽、建築、料理、数学、理工学、解剖学などさまざまな分野の発展に大きな功績を残した。

西本教授 その通りです。彼は芸術家である前に科学者であり、その両方をミックスした状態だったので、後世に残るものがつくれたのだと思います。私にとっても大きな憧れの存在です。先ほどお話したように、のめり込むきっかけは憧れが芽生えた瞬間にはじまると思います。教員はこれから入学してくる学生たちに、いきなり何かの技術を学びなさいと言うより、「自分にとっての憧れは何か?」と問い直す時間をつくってあげて、それに寄り添っていけばいいのではないでしょうか。

落合学長 それはいいスタンスですね。ダヴィンチの名前を出したとき、同時に私の好きな画家アンドレア・マンテーニャのことを思っていました。彼の絵画には、美しさと同時に不気味さがあります。憧れとは別に、怖さや得体の知れなさや悪趣味など、普通だったら避けたくなるような訳の分からない何かが人を惹きつける、ということはないでしょうか?

アンドレア・マンテーニャ
イタリア・ルネサンス期の画家・版画家。当時の絵画では画期的な遠近法や前縮法を取り入れた奥行きある画面構成が特徴。

西本教授 あると思います。素晴らしい芸術というのは、常に美しさと恐怖、畏怖の念が表裏一体になっています。そこから深い価値が生まれるのではないでしょうか。原初の時代には、雷が落ちたり獣に襲われたりする死と隣り合わせの中で、畏怖の念というものがあったと思います。しかし、それを排除するためにさまざまな進歩を遂げる中で、その思いが少しずつ薄れてきてしまった。自分が怖いと感じるものの奥に何があるのか?知らないこと、分からないことを自覚して見つめることも、のめり込むきっかけになると思います。

分からないことを楽しもう

西本教授 ところで、学長に聞きたいことを尋ねていいと伺ったのですが、よろしいですか?

落合学長 もちろん、どうぞ。

西本教授 私が現代美術にのめり込んだ理由は、いくら見ても「分からない」ことが悔しかったからなのですが、落合学長はご専門のメキシコの文化人類学にどういうきっかけでのめり込んだのですか?

落合学長 同じです。「分からない」という気持ちが原動力のひとつでした。メキシコは征服されてつくられた国です。1492年にコロンブスが大西洋を渡り、そのあと1521年にスペイン軍によるアステカ王国の征服があって、それを背景にして今のメキシコの人が生きている。スペイン系の血も入っているし、先住民の文化もあります。今ではこれがミックスないし共存して、明るく楽しい人も多く、街の彩りもあざやかで、ご飯もおいしいし、音楽も素敵です。しかし、私にはその背後にある「征服された」という実体験がありません。征服を受ける恐ろしさとは、いったい何なのか?メキシコに最初に留学した20歳のときから、そこから目を背けてはいけないと思ってきました。そうでないと、メキシコの文化や社会の根本が分からないと思ったんです。

西本教授 分からないからもういいや、ではなく、分からないから知りたいと。

落合学長 そうです。大抵は、征服は良いか悪いかで考えますよね。しかし、現地の人にとっては、それは善悪をこえた現実です。例えば雨は私たちにとって命の恵みである一方、豪雨になると人の命を脅かします。そうした自然のパワーはコントロールできるものではありません。その現実を人間は生き抜いてきた。征服・被征服は良い悪いだけでない、とんでもなく大きな歴史のはたらきであり、その中での生き方です。私はずっと、そうした視点から「征服とは何か?」を文化人類学の現地調査を通じて考えたいと思ってきました。

西本教授 芸術も同じです。貧富の差であったり、悔しさだったり、希望だったり、それらが生まれる背景が渾然一体となってパワーを孕んで生まれるものです。

落合学長 現代メキシコのアイデンティティや芸術も、先住民系とヨーロッパ系のいろいろなことがクロッシングした結果、パワフルな土壌ができ、そこから生まれてきました。

西本教授 その意味では、何と何がクロッシングしてパワーが生まれるか分からないというのは興味がそそられますね。意外な組み合わせで新しいものが生まれた例で、ひとつ面白い話があります。
高校生の夏休みの課題でバイオリンについて調べたのですが、バイオリンは本体と楽弓(弦をこする弓)がまったく違う歴史で生まれていたのです。本体はエジプトからヨーロッパに渡ってキリスト教圏で発達。楽弓はインドが発祥でペルシャからイスラム帝国に渡ってイスラム教圏で発達。その二つが、ヨーロッパでクロスして、今のバイオリンになったそうです。宗教的に相容れないもの同士が楽器という形でひとつになっていて面白いと感じました。大学の中でもそうした異なるものがクロッシングする場を仕掛けられるといいですね。

落合学長 面白いお話ですね。私も、専門と専門、教員と学生、大学の内と外、高校生と大学生などの垣根を越えたクロッシングを起こしたいと思っているんです。

バイオリンの歴史

▲西本教授が高校3年生の時に書いた、バイオリンの歴史に関するレポート

大学のデザイン、人生のデザイン

西本教授 そういう環境をつくるには、発想を柔軟にするために遊び感覚のようなものを授業や課題に持ち込んでみるものいいのではないでしょうか。

落合学長 結果はもちろん大事ですが、プロセスをいかに楽しむかが大切。すぐに結果が出なくても、何年か後に、あの時やっていたことがこうしていろいろなところに結びついたんだと気づくことがあってもいいと思います。

西本教授 おっしゃる通りで、答えを最初から求めずに、自由に取り組めるものがあっていいと思います。作品をつくりたくても、いつ思いつくかなんて私にも分かりません。アトリエに集めたいろいろなパーツの山の中から、ふとした拍子に転げ落ちたものを見て作品づくりが始まることもあるかもしれない。そんな自由さをどんどん肯定していけるといいなと思います。極端な話、最後まで何もできなくてもいいくらいの気持ちで。生物の進化も、そのほとんどが失敗の歴史だったと思います。意図せずたまたま良くて進化したこともあったはず。だから、失敗を怖がらずにどんどんやってみればいい。量からしか質は生まれないのだと、学生たちを後押ししていきたいですね。

落合学長 西本先生がおっしゃるように、学生には好きなことにどんどんのめり込んでロングスパンでいろいろ試していってほしい。その一方で、大学にはあと何単位取らないと卒業できないぞ、といった制度の部分もあります。先々何の役に立つのかもわからない得体の知れない興味のほとばしりと、大学の制度的な仕組みをどう結びつけていくか。ここが大きな課題だと思っています。

西本教授 そこが本当に難しいところですね。

落合学長 では、私から最後の質問です。西本先生は、学生たちがどういうふうに自分の学びや人生をデザインしていくといいと思いますか?

西本教授 私が大学生の頃は、自分が考えた構想や仮説などを確認したい時や、ヒントを得たい時に授業や図書館を活用していました。単位を取りたいから授業を受けるという感覚はまったくありませんでした。学生のみなさんも、自分の核になるものを持って学べば、自然と自発的に学べるようになると思います。自分が見つけたいものに気付くことが増えれば、楽しい人生になるのではないでしょうか。

落合学長 それこそ学修者本位の真骨頂ですね。先ほど申した、「次世代の皆さんに幸せな人生を送ってもらうにはどうすればいいか」という私自身の課題とも重なります。

西本教授 本当はそれが幼稚園くらいからできるといいのですけどね。そういった意味では、明星学苑には幼稚園から大学院まである。その幅の広さを活かした教育を実践し、明星大学に来る頃にはとんでもない自分の核を持った学生になっていた、というようなことが起こると面白いと思います。

落合学長 途方もない話にも聞こえますが、これからの社会と人間を考えると、何より大事なことですね。まさに人生のデザインに関わると思います。

29号館ウッドデッキ


キャンパス写真館―資料図書館では歴代の学生たちの活躍を展示しています
明星大学は、東京都の日野市にキャンパスを構える私立大学です。 noteでは「顔が見える」「”人”を感じる」コンテンツを通して、明星大学のことをより身近に感じてもらえたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。